真言(マントラ)・陀羅尼(ダーラーニー)は、音として宇宙の真理を集約したものです。
いずれも本来はサンスクリット語で発音されます。
神秘的な音声や聖なる呪文が、その意味、内容とは別に、そのもの自体に不思議な威力が備わっています。
それは、災いを除き、幸福をもたらす力を持っているのです。
仏教でも、経典を唱え、それを聴聞することによって、様々な災難から逃れられるという信仰があります。
翻訳された経典でさえ、そうした力があるのですから、本来の古代インドの音韻を持つ真言、陀羅尼にさらなる功徳が期待されるのは当然でしょう。
口密は、そのような目的のために行なわれます。
また、呪文そのものの持つ効果も、当然期待されます。
一方、ダーラーニは、中国に(総持)と訳されるように精神を一定の状態に保つことを意味します。
精神統一し、心を一定に集中することによって、ある種の念力が生まれ、それが記憶力の増進にも役立つとされます。
陀羅尼はそれを唱えつつ、精神集中を行なうと、その過程で自然に、呪的な能力を身につけられるものだといわれています。
そして、精神集中によって瞑想の度合いを高め、宇宙の真理を集約した聖音をさらに唱え続けるという相互作用の中で、行者は目覚めを獲得して行くのです。
インドの後期仏教、タントラ仏教では、宇宙は聖音オームから展開したものだ、と考えています。
生物であれ無生物であれ、この宇宙のすべての存在は、ある特定の周波数をもって振動音―振動を、それぞれ凝縮した(音)だと考えられているのです。
音は形の反映であり、形は音から生まれるものなのです。
真言、陀羅尼を唱え続けることによって、行者が宇宙の真理と、ある瞬間合一する体験を獲得できるのは、当然のことと言えるでしょう。