天光寺で3日間体験修行(滝行、川行など)をして(小学生)

ぼくはこの行で今までの罪、自分がやった失敗などをすべて滝ですっきり忘れ来年からは罪をせず、失敗を減らす。失敗からはのがれられないことも学びました。初日、天光寺はとてもきびしいところなのか、それとも楽なところなのかとずっと思っていました。でも、天光寺について、行が始まってすぐむずかしい言葉、色々な決まりなどがあって帰りたいと思いました。でも、来て先生と話をしていたとき、車のカギを盗んで事故にあったり、仏像を落としてしまい、千二百万もの大金を請求されている人がいると聞いて、今帰ったら自分もそうなってしまうので、行をしっかりやって自分がやってきた悪い事を全部行でしっかり反省し、次はもう中学生なのでこの天光寺で色々な行をやって中学生になれると思いました。ですが、天光寺の行は、考えていた行とは違い、滝行は水量は少ないけどとても冷たくて死ぬかと思いました。でも天光寺にいる先生は、滝行を何回もやってきたのに、自分は一回でくじけていいのかと思いました。昔のお坊さんは、七分間滝行をやっているので、それを目指してがんばろうと思ったけど、結局一分も入れず、すぐ出てしまいました。でもこの後も、行があるので、ここでくじけちゃいけないと思いました。食事の時、いただきますとしか言わないかと思って何も準備しなかったら、朝授業でならった文、言葉を唱えなきゃいけないのでびっくりしました。さらに肉や魚が食べられないと聞いてびっくりしました。いつも食べているのに食べられないのかと思いました。でも、その時、いつも食べている肉や魚いつも一つの命をいただいてることがわかりました。そうすると、肉や魚を食べないことがどういうことか分かりました。食べ終わった後、食器を自分であらったりふいたりすることがないので、自分でやるのはちょっといやでした。でも、母は、毎日休まずこの作業をしていることにとてもありがたみを感じました。次の日朝六時に起きて朝から清掃をするとは思いませんでした。これも母が毎日やっているのでとてもあいがたみやこんなに朝早く起きていることに尊敬しました。
二日目は、ほかの人も来て心強かったです。川行では、水をかけただけで、胸が苦しくなりました。ぼくはこの時、他の人はずっと入っていれたのに、ぼくだけおなかまでしか入れなくてくやしかったです。食事は、女性の人が作っていると思っていたら、まさか先生が作っているとは思わなかった。きらいな食べ物は、家では残してしまうけど、天光寺では出されたものはすべて食べると言われて嫌だったけど、これも行だと思って食べればおいしかったので、家でもきらいなものが出ても行だと思って食べようと思った。料理を作っているのは母が当然だと思っていましたが、作るのは自分でもいいんだとその時に気づきました。この時、母に作らせておいて残すのは最悪の行動だと思いました。寝る時は、いつもと場所はちがうし真っ暗で寝れないかもと思ったけど、これも一つの行だと思い寝ました。
三日目は、朝六時に起きて清掃し、食事をし、行をしました。瞑想をしました。瞑想は、音楽を聴いたまま頭の中をからっぽにし、一時間ずっとそのまま動きません。ですが、頭の中をからっぽにするのはむずかしくて、できてもすぐ何かを考えてしまいました。でも、最後の五分~六分は、頭の中をからっぽにできて、瞑想ができました。次の行は、十三仏真言を唱えました。ずっと同じ言葉を読んで、とてもつかれました。昼の行はする事がなく、二日目にやった写仏の続きをやりました。だいたい三時間ぐらいで五枚写仏ができました。できたのは月光菩薩様、如来?菩薩様、観自在菩薩、無量寿如来様、旃檀香辟支仏様を写仏していると時間が過ぎるのを忘れるくらい熱中できました。天光寺ではきびしい行しかやらないと思ったら、字を書く行、仏様を写す行をやっており、意外だなと思いました。ぼくは、この三日間で、自分の罪、失敗などを深く反省しており母の大変さ苦労を知りました。母に感謝の気持ちでいっぱいです。まだ三日間しかたっていませんが天光寺のきまり、作法に慣れてきています。とてもよく反省、感謝の気持ちがあります。父にも感謝の気持ちがあります。いっしょに遊んでくれたり母の仕事を手伝ったりしています。自分は母の仕事をあまり手伝ったりしていません。でも、天光寺では毎日手伝いがあります。なのでいつも母の手伝いをしてくれている父にも感謝しています。ここでは、肉も魚もでないので、早く家に帰って肉や魚を食べたいです。自分が写仏したものを母、父、兄に見せてあげたいです。できれば、家族と年をこしたいです。